私は死に期待する。

どんどん脳を解き明かそうとする人達に。
心は死んだら消えるとすれば、脳から作りだすことだから、
いづれ技術は進化しコピーで保存しておくことができる。
大切な人を失うことはなくなる。
でも今もう失ってる人は永遠に会うことはできなくなる。

だが、死んでも心は消えない、天国に行くんだとすれば、
今は会うことはできなくても、自分が死んだら会うことができる。
僕はそのほうがいい。

天国があるとして、天国での記憶はいったい、たまちゃんのいくつの時の記憶?
障害者となった後に知り合った僕との記憶だろうか、でもそもそも、認知症患者は生きていてもボケてわからないくなってしまう、魂が死ぬときの記憶をもしもってどこかの世界にあるとすれば、それは一番僕のことを好きでいてくれた時の記憶であってほしいと願う。

それともすべては無に帰するのか。

もし、死んだ直後の記憶が魂になるのであるとすれば、現代医学のなんともむごいことか、肉体のみの生死にのみにとらわれて、生きてはいるが脳は記憶は消滅していき自我すら変わってしまいそれが魂にまで乗り移るとすれば現代はあの世も認知症だらけであるから。

まあ、たまちゃんは、最後に大好きだったときの記憶で魂が天国にお互いにあるのが一番いいし、僕もボケられないな。ボケる前に死んでしまうのがいいな。

子供もなく、たまちゃんが大好きで生活を支えるのに精一杯だったからな、この先、生きている意味というのはなんだろう、バタフライエフェクト、子供を産む育てるということは、未来への影響を一番残すことなんだろうけども、生きていれば少なからずバタフライ効果はあるわけで、
それこそが人間の生きている意味なのかなー、まあ、でもどうでもいいや。

どうでもいいや、それが口癖になった。

 

 

 

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