死者にも請求するNHK

たまちゃんが死んで三か月、まだまだ悲しいこの時期、NHKの受信料払えとnyanyu.com-20141218_112344きました。

 

私はNHKをみてます。民法などよりははるかにましな番組を作っていると思います。

たまちゃんは、障害者だったので、受信料免除されていたのですが、

死んだとたんに、免除をが無くなったので受信料を払えときました。

デリカシーのかけらもないんですか?

むかついたので、電話しました。9:30分からかけはじめて、12:00にようやくつながったので

障害者の免除が消えたんだから、死んだためとわかるだろう、死人にも受信料はらえと?

というと、めんどくさそうに、市役所では定期的に免除が消えた確認はしてるがなんでかまで

はしてないとえらそうにいって、すいませんの一言もありませんでした。

もう一度いいます、僕は民法などみてませんがNHKは価値があると思います。

NHKの受信料も払っています。

しかし、この対応にNHKにはがっかりして、こんなオペレーターに何をいってもだめだと

電話をきりました。

NHKスぺシャルなどで、散々、孤独死や障害者など問題提起をとりあげて、

大切な人が死んで悲しんでいる人におくやみの言葉もなくえらそうに、そんなのはしらないだと

よくいいますね。

ガスやさんなどのほうがよほど、申し訳なさそうに対応してくれましたよ。

そんなえらそうな態度がみんな嫌いなんじゃないですか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3回目の月命日

朝おきたら、墓参りにいこうと思っていたのに時計をみると2時30分を回ってた、

でもなんかへんだ、よくみるとこのたまちゃんちからもってきた時計

たまちゃんが死んだ時間で止まってる。

 

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相変らず悪戯ずきなたまちゃんだ。

お墓参にいくと、まだ燃えてる線香があった、誰か来てくれたらしいが

田舎で誰も知らない墓なのに謎すぎる。

空をみるとパラグライダーが一杯まってた

たまちゃんも一緒にやってそうだ。

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セブンのデミグラマン100円

たまちゃんがいなくなって寂しく邪魔にならないように深夜2:00~5:00くらいの間に、毎日、相模原大野台3丁目店にひとりぼっちで行っている。

たまちゃんがいるときはたまちゃんが、一応歩けたから毎日のようにコーヒーを買ってきてくれた。

今日いくと、デミグラマンが100円だった

めったに食わなかったがいつもたまちゃんと一個を半分こして食ってた。

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あの頃は、お前くいすぎーなんて奪い合ってたが一口でもとってもうまかった。

今もうまいけど、あの時ほどじゃないな。

 

何をもって死なのだろう。

人は本能で命ある限り生きようとする、ほとんどの価値観は死は悪であり、生は善だ。

それは正しい、ただしだ、今現在ならばだ、記憶や知識など人格の中枢に位置するものは

脳が作りあげていると言われ始めてきている。

だから、脳の細胞に多大な影響をあたえる覚せい剤を使えば人は人格も変わってしまうし、

それは老いて、記憶を失ったりしていっても同じく、変わってしまう。

人は絶えず変わっていくんだ。

それでだ、今の医学の進む道は間違っていないか?といいたい。

ただただ、延命だけの医学、その後のフォローも生活も何もなし、死するべき人を

あくまで助けることだけが正義であるという時代の悲劇は、近年の老々介護の末の殺人の続出などが物語っているし、そして、多くの人が一人ぼっちになって長生きはしたくないとそういう。

では問う。

何をもって人の死とするのか?

心臓が止まっても、いまや人口心肺で代替えできる、それは確実な死ではない、

今現在は心肺をつかさどる脳幹の死反応がなくなった時点を死としているが、

本当にそうか?再生医療がすすんでいったとき、もしかしたら、人はそうやすやす

死ねなくなるんじゃないだろうか?

又、記憶や、感情、脳のある100兆の細胞のデータが将来pcに保存できる、

人格が保存できる時代がもし来たとしたら、いったい何をもって死というんだろう?

まあ、一概に比べられないが、最新のcpuのトランジスタ数は56億らしいから、

脳とくらべればまだまだ、桁が違うわけではあるけどもね。

人は脳の三割しか使わず死ぬとよく言われているがそれはそもそも、

長生きをして容量がオーバーして昔の愛していた大切な人のことを忘れないようにするための

予備だったんじゃないかとそう思う。

失ったものを取り戻したい気持ちはある、歩けるようになれば素晴らしいんだろう。

人間はどうせできることを発見すれば最後まで行き着くとこまできっと挑戦する。

結局のところ、死んだ人を生き返らせられるようになれば、するだろうし、

永遠に生きたくなるのかもしれない、隣の星までいくだけで何年もかかる宇宙においたら

それくらいのことが可能にならなければ、宇宙などまずむりなのかもしれない。

どちらにしても、ぼくはまだ時期がくればこの地球でいずれ死ねる時代にいることに感謝したい。

 

 

 

 

 

安楽死 死ぬ権利とは

加護生存の日本において、やっと死ぬ権利、安楽死が考えられるようになった。

僕がまだ若かったとき、若くかわいい女の先生は、何がなんでも生存、どんな状態でも生きていてよかったねーといってあげるんだ、そういうもんだと天使のようなその先生は言っていた。

自分が一生懸命にやっていることを、死にたい人への冒涜とは思いたくなかったんだろう、

痛い、苦しい、鼻から肺に入れられるチューブの苦しさ、ウンコが腸でつまってのた打ち回った

苦しさを知っている人間としては、なんで悪いことすらしていないのに、こんな無理やり生かされて苦しい思いをしなければいけないの?

学校の体育はいつも見学、女のこに重いものを持ってあげてかっこつけることもできない体

重度の障害が残り先の見えない絶望。

そういった思いと、必死に何十時間も手術してくれて働きすぎて若くして死んでしまった僕の主治医の先生の思い。

いろんなことを思ったけども、延命治療はいらない、胃ろうはいらない、最後は痛みだけとって

寿命で死にたいと思っていた、あの日までは。

2014年9月5日混乱の真っただ中でたまちゃんがもうだめだと聞かされた日。

たまちゃんとは何度ももしもの時は下手にいかすんじゃないぞと約束していた。

病院はとうまわしに、手術をしての植物状態での延命もそのままの死の受け入れもできるようなことを言っていたように思った。

最高よくなっても胃ろうで意識なし、意識ありでも何もしゃべれない、苦しい思いをさせるだけという選択は僕にはできなかった。

でも、そんあ状態でも僕は生きていてほしかった。何か月でも少しでも長く一緒にいてほしかった。

だから、死ぬ権利というのは本人だけのものじゃないと、死んだあとの残されたものたちの権利のほうが強いんだと今になって思う。

だって残されたものたちは、本人が死んだあと生涯寂しいんだから。

そんな人もいないひとりぼっちの人は安らかに眠らせてあげてもいいんじゃないかと思うようになった。

家族が本人が望まないのに延命することを責められないね。

自分が死ぬことの何倍もつらかったから。

 

 

 

 

 

 

 

私は死に期待する。

どんどん脳を解き明かそうとする人達に。
心は死んだら消えるとすれば、脳から作りだすことだから、
いづれ技術は進化しコピーで保存しておくことができる。
大切な人を失うことはなくなる。
でも今もう失ってる人は永遠に会うことはできなくなる。

だが、死んでも心は消えない、天国に行くんだとすれば、
今は会うことはできなくても、自分が死んだら会うことができる。
僕はそのほうがいい。

天国があるとして、天国での記憶はいったい、たまちゃんのいくつの時の記憶?
障害者となった後に知り合った僕との記憶だろうか、でもそもそも、認知症患者は生きていてもボケてわからないくなってしまう、魂が死ぬときの記憶をもしもってどこかの世界にあるとすれば、それは一番僕のことを好きでいてくれた時の記憶であってほしいと願う。

それともすべては無に帰するのか。

もし、死んだ直後の記憶が魂になるのであるとすれば、現代医学のなんともむごいことか、肉体のみの生死にのみにとらわれて、生きてはいるが脳は記憶は消滅していき自我すら変わってしまいそれが魂にまで乗り移るとすれば現代はあの世も認知症だらけであるから。

まあ、たまちゃんは、最後に大好きだったときの記憶で魂が天国にお互いにあるのが一番いいし、僕もボケられないな。ボケる前に死んでしまうのがいいな。

子供もなく、たまちゃんが大好きで生活を支えるのに精一杯だったからな、この先、生きている意味というのはなんだろう、バタフライエフェクト、子供を産む育てるということは、未来への影響を一番残すことなんだろうけども、生きていれば少なからずバタフライ効果はあるわけで、
それこそが人間の生きている意味なのかなー、まあ、でもどうでもいいや。

どうでもいいや、それが口癖になった。