孤独だな~

一番恐れていた状態だな、たまちゃんがいなくなって葬式が終わり、

気が付けば誰とも話すこともできず、墓参りに行きたくても雪でいけず

希望ももてず。

何の為に生きているんだよ、道を迷ってしまいたくはないけども。

自分でなんとかするしかないんだよな。

 

生まれ変わり

たまちゃんが死んで、死に間際の脳のことだとか、生まれ変わりだとか、そんんなもんばかり見ている、よの中の人は生まれ変わりを信じている人が大半らしい。

人間は弱いからね、死ぬからね。僕もたまちゃんには生き返ってもらいたいし、一緒にいてもらいたい。でもそれは生まれ変わった、たまちゃんじゃない。

ずっと一緒にいてくれたたまちゃんだ。

前世の記憶を持って生まれてきた少女なんて話がある、もしあなたが神になったとして、人を作るとしよう、そしたら、殺し合いをやめさせたい、子供を大切にする種族にしたいと思ったとする。でもなかなかうまくいかない、人は自分だけがいいようにできていた。

そこで、生まれ変わらせることにした、そうすることで、小さい子を、貧しい他人を救うことは

あなたの昔愛した人を救うことにつながるとしよう、そうすればおいそれと、戦いをできなくなる

ただどうやって、それを証明しようと考えた、すべての過去を引きずることは生まれながらに

恐怖を限界を知ることにつながり、人は挑戦しなくなった、だから、幼い子の記憶の中にだけ

前世の記憶を少し残した。

結局、人は人である以上それだけで、不思議で、とてつもない広大な宇宙のなかのかよわそうない星のなかで生きている存在で、何があっても不思議などなくて、そういうもんなんだろう。

でも、前世の記憶といってもそれは何世代前までの記憶?

大概前の世代までだよね。

人はスケールが極端に小さな生き物だから、前世くらいまでしかどうでもいいんだろう。

そう考えると、生まれ変わりよりも天国でたまちゃんと遊べるって説もいいな。

又怒られたい。

最後にのこった無になるって説は、なんかさびしいけど、何時何分何秒からの無みたいな

ものなんだろうか。

 

 

高齢化とアマゾン

 

何かの合間に寂しくなるとここに書き込んでいるしゃねちゃんです。

たまちゃんに届けばいいんですけどね。

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たまちゃんが死んでめっきり引きこもりになった、よっぽどのことがないと買い物など行かなくなった。

たまちゃんがいたときは、二人でぷーらぷーら、貧乏で100円高かったら違う店で~

なんてやってたけど、今は線香や、ローソク、電池、プリンタのインクまで

全部アマゾンだ、送料が無料で不思議な価格で売ってるのもあるが、

もうなんか、外にでて買い物してるとたまちゃん思い出しちゃってね~

突然の別れから4か月目か。

 

4か月目の月命日

書くのは遅くなったが、1/14で4か月目の月命日、正月にいったばかりで、その時は

花がどの墓のも綺麗だった、14日は全部枯れていた、期間は同じくらいなのに

きっと雨が降らなかったからかな、

その日は不思議すぎるほどによく晴れてあたたかった。

空気も澄んでいたんだろう、めったに見えない富士山が綺麗に見えた

20150114_11331e0きっとたまちゃんのはからいだろう。

毎月、月命日に行けるきょうにできたら晴れていてほしい。

次の日は大雨でとても一日ちがいと思えなかった。

 

友達のおばーちゃんが亡くなった

僕はたまちゃんと知り合う前に山梨の小さな病院に何か月か入院してたことがある。

プールのあるリハビリ病院だったが、今考えると介護病院

そこは人生最後に看取られる為に行くような病院だった。

入院患者のほとんどは脳梗塞などの麻痺があり、長期にただ介護をうけるだけの病院だ

死を待つだけの病院といってもいい、今ほどではないけども当時から行くあてのない老人は一杯いた。

ぼくは、サラリーマンになって必死に働いたが一年目で骨折してそうそうにクビになった

だんだん悪くなる足が過労でもつれてのことだった。

軽くつく程度だった杖は、両ロフストランドになった。

せめて、片方だけの杖になりたくて、リハビリでなんとかならないかとこの病院にきた。

でもわかってたんだ、きっと脊髄の腫瘍の再発なんだろうと、

MRIやCTでわかるだろうという人もいるとおもうが、脊髄に長い金属の棒が突き刺さっている僕はそれが使えない。

信じたくなかった、だから決心するまえにリハビリにきた。

その病院では、とても看護婦さんだけでは見切れないので、べっとの横に簡易ベットをおいて

みんな付き添いの人がいた、最初僕は患者の家族なんだろうと思っていた。

が、家政婦さんだったらしい。今でいう介護ヘルパーだ、今の時代じゃそんな泊りがけの

ヘルパーなどやる人はいないと思うが、当時高齢の女性の仕事として収入がよかったからだろう泊まり込みで働いてる人が一杯いた。

その病院はいつも笑いってるような楽しい病院だった、患者の半分くらいの高齢の元気なヘルパーの女性たちがせわしなく働いて、看護婦さんたちは医療だけに専念できる感じだったからだ、特に重要なのは、会話。

患者たちも寂しくなかっただろう、全員が家政婦さんを雇えたわけではないが、介護保険なんてない時代の話だ、金持ちについているヘルパーさんが同室の貧乏な人の世話もちょっとしてあげる。

食事をさげてあげる、物をとってあげる、落ちたものを拾ってあげる、かゆいとこをかいてあげるなど、ちょっとしたことを自分でできなくなったときに我慢している人が世の中にどれほどいるだろう。

雇っている人も文句などいうことはなかった、今考えるとわりと金持ちが多かったのかもしれない。

ブラジルから来ているまだ若い人もいた、日本語が上手で向こうでは何してたの?

と聞くと救急救命の看護婦らしい、日本と違ってあちらではテロなどあって、手術室では

手はどこいった、足はどこいったなどの状態で運ばれてくる人もいるというような話をきいた。

当時、日本ではその免許は使えないらしくそして、給料はこちらでヘルパーをするほうが10倍高いそうだ。多分今でもそうなんだろう。

そんな、ヘルパーの中に小さいけども、元気そうなヘルパーのおばちゃんがいた。

ぼくはまだ20代で目立つほどわかくて、ヘルパーのおばちゃんたちにはよくしてもらったが

そのおばちゃんにも、励まされたりしていた。何より、障害者だという目線で見ない人達だったのがうれしかった。

今はその病院も国の介護医療制度の元、病院はALL看護婦に、

介護は、すべての作業は点数づけされて、介護ヘルパーの仕事に

そうして日本の心は消えてしまった。

元々脊髄の病気、いくらリハビリしてもよくなるはずもなく、僕は寂しかった。

そこらじゅうの看護婦さんや若い子に結婚してーなどといったり、娘がいるなら頂戴なんていっていた。

まに受けた看護婦さんが悩んでるよと他の看護婦さんに怒られたこともある。

結局治らなくて僕は、千葉の病院に電話して、先生やっぱりもうだめそうだから

みてくださいと。

そして、千葉の病院でみてもらった、脊髄造影の結果や精密検査の結果、

大きさは開けてみないとMRIなどじゃわからないが、再発だとつげられた。

覚悟はできていた。

イチかバチか、腫瘍をとるんだから、とれば神経への圧迫がとれてまた、普通に歩けるようになる、そうすれば本当に普通に彼女もできるだろうと思っていた。

僕は孤独だった。

手術前

嫌な夢をみた、ふとベットで足をあげようとしたら動かない。

目がさめた。

動いた。

ほっとしたが手術は明日、ここまで来て辞めてどうするんだと思った。

でもすごく嫌な予感はした。

一応、もし神経に近くてとるか迷ったらとらないでくださいと先生にお願いはしておいた

未来がわかるのはいいものじゃない。

次の日手術をした。

足は両方動かなくなった。

何故かだめだったかと思っただけだった。最初からわかっていたのにね。

ダメだった時でも死ぬわけじゃないんだなということを忘れていた、ゲームのようにジエンドならいいのに、しょんぼりしていると、若い女の子が

股関節の病気で入院してきた、話やパズルをしていて仲良くなった。

だいぶ後になってだが、その子は偶然にあのおばあちゃんの孫だったことがわかった。

その子も、おばあちゃんも、そしてその子のお母さんも車椅子の僕がいっても嫌な顔一つしないとてもやさしい気持ちのいい家族だった。

その後、僕は神奈川のリハビリ病院にもどった、そこでたまちゃんにであった。

何故かあれだけ孤独だったぼくは、車椅子になってから二人の素敵な人にあった

世の中は不思議なものだ。ゲームはまだ終わらない。

千葉の子は健常者だ、たまちゃんは障害者、僕はすごく悩んだけど

たまちゃんを選んだ、

僕は昔からなんとなく未来がわかる、きっとたまちゃんは

はかない命の気がしてはいた。

同じ障害者同士、たまちゃんといるとやってあげるだけではなく、

やってもらうだけでもなく、普通でいられた。

だからなのかも知れない。

そして、又あたってしまった。

たまちゃんは死んでしまった。

僕は又孤独になった。

今年に入り、あの小さな元気なおばあちゃんも亡くなったという。

時代は変わっていく。

何故、人は一人じゃいたくないか。

死にゆく人の孤独を埋めてあげることを僕はしていきたい。

そう思っています。

今は未来がよくわからない、はたしてゲームはまだ続くのか?

たまちゃんのへそくりみっけ

 

20150108_061447なんでたまちゃんはあんま本ないのに、こんな大きな本あるんだろう。

イラスト屋、絵書いてたからかなーと少し読んでいたら。

20150108_061521旧札の千円夏目漱石で2000円みっけ

きっとへそくり入れて、そのまんま忘れたんだろうな~

たまちゃんらしいよ。

久しぶりに笑った。

きっと生きていたら、バレタカ、おらのへそくりーーーっていうんだろうなー。

ぴんちゃんが終わちゃうよ

たまちゃん、たまちゃんが通信費節約のために僕と二人で使い続けたぴんちゃん。

wimaxのピンクの端末。電話はガラケイで基本料700円くらい、ipodタッチをスマホ代わりにつかって、家のパソコンと共用、そして、僕のスマホ、いつも一緒にいたからそれでも全然

問題なかった。待ってるときはピンちゃん貸してなんて仲良く使ってたね。

毎月300Gくらい使ってた。

制限なかったから全く問題なかった。

家のパソコンもwimaxで快適につかえてた。

そんなwimaxも、速度1/3にすると電話きたよ、wimax2は制限あるらしいし、

たまちゃんがいつも頑張って3台も毎日充電して持ち歩いてくれてたから、使ってたけど

たまちゃんも死んじゃったし、めっきり使わないし今月解約するよ。

1円でwimax2にしますなんて電話きたけど、制限あってLTEより地域狭くて、

余計な端末もう一個もたないといけないんだから、多分無くなるよこの会社。

それを見越して親会社のAUはUQ mobaile格安simを去年終わりに始めたし、

同じUQだろ、UQwimaxからUQ mobaileにしてwimaxはそもそも数年後終了するらしいから

wimax2も終わるんだろうね。制限ありじゃ意味ないもの。

そんな感じで、どうでもいいけど、たまちゃんが満足してたwimaxもたまちゃんが死んじゃったのをきっかけみたいに終わろうとしています。

 

未来がわかるって嫌だね

未来がわかるっていっても、何の役にもたたない誰もが持ってる予感みたいなやつ。

たまちゃんがまだ生きてる時なんか自分より早く死んじゃう気がしてならなかった

だからしょちゅう絶対先に死ぬなよと言っていた。

結果的に予感はあたってしまった。

寂しさは癒えることはない。

最近は池上彰経済学の番組をよく見ている。

あの人はよくわかっていると思った。

人は失うものが無くなると何をするかわからない、そういう状態にあることこそが危険なんだと。

まさに今の自分もそんな気持ちだ。一番大切な人を失ってしまった。

それともう一つ、自分も含めて今の40以降の年寄は昔の年寄より相当弱い。

戦争を経験して生き残ったわけじゃないからとか、たいして苦しい思いをしていないから

というのもあるかもしれないが、世の中のものはすべて、美しい物、新しい物に注力されて

いく、自らは必ず劣化していく存在であるということを忘れて、

そして劣化した後の人生の方がはるかに長いことも忘れて、

結果行き着く先は「世間から取り残されたという感覚」

生きていて意味あるの?という感覚。

毎日ある列車への飛び込み自殺は人身事故として葬られる現実。

いかされる時代、人はもっと死について老後について考えるべきだな。

平均寿命が30才から始まった人間が今や80才、

そして、それは決して幸せだったといえない増えた寿命時代。

はたしてどちらの時代のほうが幸せだったのだろう。

残りのあまりいらない人生を俺はまだ生きている。

 

こんな誰も見ていないとこに書き込みをしても意味はあるんだろうかと疑問に思いながら。

アナログ回帰

ぼくらのようにじじいは、生まれたときはみんなアナログででかくて重くて記憶もできなくて

雑音もひどくて、ラジオからベストテンの音楽を録音するのにいつまで久米宏や

黒柳徹子が話てんだよときれていたもんだけど、そんなネタで話が通じる

たまちゃんも死んじゃって、生まれたときから周りはみんなデジタルで

アナログのものが懐かしいではなく骨董品となっている世代は回帰というよりは

新鮮なんじゃないだろうか?

で、人間が根本的にアナログでできていて完全なるコピーができないのは

一見アナログよりも優れていると思えるデジタルよりも優れているというか

可能性があるからなんじゃないかと思うわけです。

 

1/1墓参り

正月そうそう墓参りなんて誰もいないと思っていた。

たくさんの人がいた、お彼岸並みにいるんではないだろうか?

みんな大切な人に会いたくてくるんだね。

帰り道高速でかなり雪が降ってきた。

たまちゃんの悪戯かな。

今日も真夜中のコーヒーを飲みにいつものセブンへ。